● いつから教鞭を?
◉ 月日は百代の
■ 従兄弟(長男)
私の4歳年下の従兄弟は15年前ほどに中学校の教員になった。国立大学の教育学部を出て、現在3度目の担任を務めている。
「担任を務めてみてどう?卒業式、泣いた?泣いた?」 と興味津々に聞いた。私には縁のない、遠い来世の話のようだった。
「ほら、黒板にいろいろ描かれていたり、お別れの挨拶とかされるでしょ」 「ああ、それでは泣かなかったんだけどね……『絶対泣かねぇ!』って言ってたのに、式の最中、校歌を歌ったところで泣いてしまった」 「えぇ?……校歌が好きなの?」 「全然興味ないんだけど」 「そんなものなんだね。やりがいはありそうだけど、まあ激務だよな」 「そうだね」
音楽の教師と結婚していて、その人ともご挨拶を交わした。 「音楽の教師ってやっぱりふざける生徒とか居るでしょ?」 「居ますねー!結構あれはメンタル的にくるものがあります」 「……まさにそういった生徒でした、私は。その子たちの代わりに謝ります。申し訳ありませんでした」 と、宴もたけなわ。
■ 従兄弟(次男)
既に神職に従事している彼とも会った。彼は県内の派閥抗争に巻き込まれ、他県で働いている。そういうのはどの世界にもあるものだね。私とは趣味嗜好が最も合うので、よくLINEでやりとりをしている。
■ 従姉妹
昨年のこと。前に会ってからちょうど10年が経っていた。 従姉妹は2000年生まれで、保育士になったばかりだった。10年前、彼女はまだ14歳だったのだから……。当然のことながら、この事実に驚かされた。光陰矢の如し。
◉ 奥の細道
月日は百代の……といった趣がある。我々はあちこちで成長と衰退を繰り返しており、それはまるで旅人のようだと感じられた。しかし—— 松尾芭蕉の感覚と現代では「時代」が違う。人生そのものが旅であるとはあまり感じられない。よく言われるように、現代人には「時間」がない。時間に余裕のある人でさえ「時間がない」とこぼす。だから旅人の歩みは悠々としておらず、むしろ猛烈に速い。
……いつの間に君たちは教鞭を執るようになったんだ?
今の世に生きる我々の人生は無論、矢の如く速い。